やっとステロイド・パルス終了。
そして、様々な検査から私の病名が確定。
その名前は「多発性硬化症」、通称MS。
多発性硬化症とは、、、中枢神経系の脱髄疾患の一つで、原因不明で、自己免疫説が有力であり、免疫担当細胞がウイルスのような病原体と戦ううちに間違えて自分の脳を攻撃するようになるのではないかと言われている。
症状はどこに病変ができるかによって、千差万別で、視神経が障害されると視力が低下したり、視野が欠けたりする。
脳幹が障害されると、目を動かす神経が麻痺してものが二重に見えたり(複視)、目が揺れたり(眼振)、顔の感覚や運動が麻痺したり、ものが飲み込みにくくなったり、しゃべりにくくなったりする。
脊髄が障害されると、胸や腹の帯状のしびれ、ぴりぴりし た痛み、手足のしびれや運動麻痺、尿失禁、排尿障害などが起こる。
そして、再発と寛解(このまま治る可能性もあるし,再発する可能性もある。)を繰り返し、国から難病指定されている。
脊髄に炎症が見つかった時から疑われていた、「多発性~」が本当になった。
担当医が、夕方私の病室へやってきて、私が座っているベッドの隣に腰を下ろした。
少し重たい空気が流れて、黙って壁を見据えたまま、担当医は「検査の結果が出ました」とゆっくり話を始めた。
入院した初めの頃は「具体的な話は旦那さんと一緒の時に」と言われてはいたけれど、
その度に、「私に話をしてない事がまだあるわけですか?どの部分を秘密にされていますか?」
「旦那がいないと話せないようなもっと重大な事が隠されているわけですかね?」「これ以上悪いんですか?」と聞き返し続け、
私の突っ込みを何度か受けるうちに、
「あなたの場合は、ご主人のいる時にとか、ご家族の方に同席頂いてとか、
そういう必要は全然なさそうですね・・・」
と言われるようになっていた。
私の身体の事なのに、私より旦那や家族の判断を仰いだりするの勘弁してほしい。
本当は、深刻な話になるのだろうが、恐ろしいほどの好奇心と知りたい欲がめきめき出てきてる。
密かにこんな状態 → ワクo( ̄▽ ̄o)(o ̄▽ ̄)oワク
MRIの画像を見せられれば、あれこれ立て続けに質問をしまくり、
知らされないよりなんでも知ってしまった方が随分と楽だと気にかかる事はその時々に確認して質問をしていた。
それに、もうその頃には、ネットを使って自分がどういう病気なのか概ねわかっていた。
これが死ぬ病気じゃないのはわかっていたわけです。
死ぬ病気じゃなきゃいいんです。
ここ超超超重要。
後は東洋医学とか食養とか代替医療の方向でお世話になろうと思って脳内はシフトチェンジをしていました。
これ以上、何かをしてもらおうとかは全然考えていなかったし、
むしろもう何もしてくれるなとさえ思っていました。
ただただ、現実だけを検査の結果だけを知らせてくれれば十分だと思っていたし、早くゲージ内のモルモルモルちゃん生活から脱出したかった。
担当医は少し重たい雰囲気を作りながらゆっくりこう話を始めた。
「今回様々な検査をしてやはり多発性だという事がわかりました・・・」
「やはり疑っていた通り、多発性硬化症でした」
「・・・・・・・・・(やっぱりそうだったかぁ、実はこれは再発だと思うんだな~)」
「でも、一番最初にかかった病院がうちで本当によかったですね!!」
「うちの病院には、エキスパートがそれぞれ分野ごとにいますから、安心してください」
この最後の部分を聞いて、なんだか、凄くカチンときた凸 (-"- )
「そうおっしゃいますけど、最初に私の事をギラン・バレーだと決めつけて治療に入ろうとしましたよね!?」
「あれは完全に誤診でしたよね!!p(,,`・ω・´,,)q」
と文句を言った。
「いや違います!!あれがあったからこの結果を導く事が出来たんですよ!!」
と返されたが、何で相変わらず一言「すみませんという」謝罪がないんだ、
どうしてあれがあってそうなるんだとドカンと爆発。
きっと病名を言われて、泣いたり、落ち込んだりする事を想定したいたのだろうけれども、
私の場合はこれまでの誤診や事故の事などを思い出して鼻の穴を大きく開いて興奮してしまった。
その後、担当医には顔をみる度に「薬早くやめたい」「いつ退院してよいか」だのなんだのをぶつぶつ言い続けた。
そして最後に決まって「何か変わりがあったらすぐに言ってくださいね」と言われる度に、
「いえいえ、これい以上何か変わりがあったら困りますから」
「もう何も変わりありませんから、大丈夫ですから (いい加減に退院させてくれ)」
と真剣に返し続けていた。
そしてしばらく後、同室の患者さんにこう言われた。
「あなたの担当医の先生さ~、今までで始めてみたタイプだよー」
「たまにやって来るけど、よくベッドの隣に座って友達と会話するみたいにずっと話してるよね」
「患者のベッドに一緒に座る医者ってのも初めてみたし、ああいう友達みたいな医者はここでは初めてみたな~」
と言われた。
高圧的なブッシュ独裁担当医は嫌いだったけど、
担当医のプレーリーH先生は私の病でまともに歩けない私の歩きを見て
「ヨチヨチ歩き( ´∀`)」と言いながらニヤッと笑ったのを始め(`ε´)/~
気が付けば、絶対に謝らない所が超憎ったらしいんだけど、なんでも言える友達のようになっていました。
たまには労を労ってあげて仕事の悩み相談でも聞いてあげようとこころ優しく言葉もかけたんだけど、「大丈夫です!!」って。
私の返す返事のよう。笑
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そして、様々な検査から私の病名が確定。
その名前は「多発性硬化症」、通称MS。
多発性硬化症とは、、、中枢神経系の脱髄疾患の一つで、原因不明で、自己免疫説が有力であり、免疫担当細胞がウイルスのような病原体と戦ううちに間違えて自分の脳を攻撃するようになるのではないかと言われている。
症状はどこに病変ができるかによって、千差万別で、視神経が障害されると視力が低下したり、視野が欠けたりする。
脳幹が障害されると、目を動かす神経が麻痺してものが二重に見えたり(複視)、目が揺れたり(眼振)、顔の感覚や運動が麻痺したり、ものが飲み込みにくくなったり、しゃべりにくくなったりする。
脊髄が障害されると、胸や腹の帯状のしびれ、ぴりぴりし た痛み、手足のしびれや運動麻痺、尿失禁、排尿障害などが起こる。
そして、再発と寛解(このまま治る可能性もあるし,再発する可能性もある。)を繰り返し、国から難病指定されている。
脊髄に炎症が見つかった時から疑われていた、「多発性~」が本当になった。
担当医が、夕方私の病室へやってきて、私が座っているベッドの隣に腰を下ろした。
少し重たい空気が流れて、黙って壁を見据えたまま、担当医は「検査の結果が出ました」とゆっくり話を始めた。
入院した初めの頃は「具体的な話は旦那さんと一緒の時に」と言われてはいたけれど、
その度に、「私に話をしてない事がまだあるわけですか?どの部分を秘密にされていますか?」
「旦那がいないと話せないようなもっと重大な事が隠されているわけですかね?」「これ以上悪いんですか?」と聞き返し続け、
私の突っ込みを何度か受けるうちに、
「あなたの場合は、ご主人のいる時にとか、ご家族の方に同席頂いてとか、
そういう必要は全然なさそうですね・・・」
と言われるようになっていた。
私の身体の事なのに、私より旦那や家族の判断を仰いだりするの勘弁してほしい。
本当は、深刻な話になるのだろうが、恐ろしいほどの好奇心と知りたい欲がめきめき出てきてる。
密かにこんな状態 → ワクo( ̄▽ ̄o)(o ̄▽ ̄)oワク
MRIの画像を見せられれば、あれこれ立て続けに質問をしまくり、
知らされないよりなんでも知ってしまった方が随分と楽だと気にかかる事はその時々に確認して質問をしていた。
それに、もうその頃には、ネットを使って自分がどういう病気なのか概ねわかっていた。
これが死ぬ病気じゃないのはわかっていたわけです。
死ぬ病気じゃなきゃいいんです。
ここ超超超重要。
後は東洋医学とか食養とか代替医療の方向でお世話になろうと思って脳内はシフトチェンジをしていました。
これ以上、何かをしてもらおうとかは全然考えていなかったし、
むしろもう何もしてくれるなとさえ思っていました。
ただただ、現実だけを検査の結果だけを知らせてくれれば十分だと思っていたし、早くゲージ内のモルモルモルちゃん生活から脱出したかった。
担当医は少し重たい雰囲気を作りながらゆっくりこう話を始めた。
「今回様々な検査をしてやはり多発性だという事がわかりました・・・」
「やはり疑っていた通り、多発性硬化症でした」
「・・・・・・・・・(やっぱりそうだったかぁ、実はこれは再発だと思うんだな~)」
「でも、一番最初にかかった病院がうちで本当によかったですね!!」
「うちの病院には、エキスパートがそれぞれ分野ごとにいますから、安心してください」
この最後の部分を聞いて、なんだか、凄くカチンときた凸 (-"- )
「そうおっしゃいますけど、最初に私の事をギラン・バレーだと決めつけて治療に入ろうとしましたよね!?」
「あれは完全に誤診でしたよね!!p(,,`・ω・´,,)q」
と文句を言った。
「いや違います!!あれがあったからこの結果を導く事が出来たんですよ!!」
と返されたが、何で相変わらず一言「すみませんという」謝罪がないんだ、
どうしてあれがあってそうなるんだとドカンと爆発。
きっと病名を言われて、泣いたり、落ち込んだりする事を想定したいたのだろうけれども、
私の場合はこれまでの誤診や事故の事などを思い出して鼻の穴を大きく開いて興奮してしまった。
その後、担当医には顔をみる度に「薬早くやめたい」「いつ退院してよいか」だのなんだのをぶつぶつ言い続けた。
そして最後に決まって「何か変わりがあったらすぐに言ってくださいね」と言われる度に、
「いえいえ、これい以上何か変わりがあったら困りますから」
「もう何も変わりありませんから、大丈夫ですから (いい加減に退院させてくれ)」
と真剣に返し続けていた。
そしてしばらく後、同室の患者さんにこう言われた。
「あなたの担当医の先生さ~、今までで始めてみたタイプだよー」
「たまにやって来るけど、よくベッドの隣に座って友達と会話するみたいにずっと話してるよね」
「患者のベッドに一緒に座る医者ってのも初めてみたし、ああいう友達みたいな医者はここでは初めてみたな~」
と言われた。
高圧的なブッシュ独裁担当医は嫌いだったけど、
担当医のプレーリーH先生は私の病でまともに歩けない私の歩きを見て
「ヨチヨチ歩き( ´∀`)」と言いながらニヤッと笑ったのを始め(`ε´)/~
気が付けば、絶対に謝らない所が超憎ったらしいんだけど、なんでも言える友達のようになっていました。
たまには労を労ってあげて仕事の悩み相談でも聞いてあげようとこころ優しく言葉もかけたんだけど、「大丈夫です!!」って。
私の返す返事のよう。笑
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