患者としての自己責任

子供の頃から薬というのが凄くキライだった。

なんでだろ???


ある日ぐったり具合が悪くなる、
あんなにも小さなまあるい薬を飲めばなんか楽になる。

子供ごころに薬って凄いというより怖い、というイメージを持ちました。


身体の中で出来た腐細胞を巨神兵が周りともども焼き払うようなイメージ。
それをいとも簡単に渡してくる病院が嫌いだなって思った。


この間病院の予約をとって病院に行ったんだけど、
夕方15時の予約で見てもらえたのが21時前。

待ってるのもしんどかったけど、
それだけの数をかかえてるお医者さんはもっともっと大変そうだった。


様々な検査機器が時間負担を減らす貢献をしているのだろうけど、
それでもアナログの部分はかなりある。

この間、勤務医の時給はマックなみだという文を見てびっくり。

高給は残業の積み重なりなだそう。

同じ給料体系で科によってもまるで働き方が違うそう。
だから人によっては本当に大変なんだそうだ。


この間私の担当医師が脳神経内科の有名人に変わった。

その為、待ち時間も長くなった。
医師はその間ずっと診察を続けている。



「薬」
の話になり、

たまに痺れてはいるけれどそれ以外の調子はいいから大丈夫です、いりません
と即答したら、

「じゃ調子いいなら薬はやめておこうか(笑)」

って。

そもそも痺れてるから痺れをとめる薬のはずが、
痺れ以外は調子がいいからいらない、
って私の答え、ちょっと変だな、笑えます。


その痺れが耐えられる範囲だから、
副作用とかで他のバランスを崩したくない、
という理由が一番なのですが、
説明を省略しすぎて不思議ちゃんにみえたかな~(苦笑)


お医者さんも患者の意思に委ねられる所があれば気が楽なんじゃないかなって思ってしまう。


会話をしていた時の私の顔は100 %自己責任とります、
だったと思う。
まあそう見てもらえたかはわからないですが。


医療も1対1のコミュニケーションばかりじゃなく、
1対多というのがあってもいいんじゃないかと思う。


周りの人を見て気が付く、
調子のいい人、悪い人、
生活レベル、生活環境、仕事、etc


私のようになんかちょっと痺れてるけどまあただの痺れだし、
っていう患者をみてそこからその能天気さをモデリングしてくれる人もいたらいいなって思うんです。

保険点数が低いグループ診療みたいな枠があってもいいんじゃないかな。

老人ならそちらに人が集まるかもしれないね(^-^)/~

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